ドキュメンタリーは恋をする

 『前略、大沢遥様』が2003年か。ちょうどあの頃、僕はエロ本で新作AVを紹介するコーナーを担当しており、毎月メーカーから送られてくる大量のサンプルDVDの山の中で、この作品に出くわした。
 なんせ異様だった。カネの掛かってそうな単体モノの1チャプターなのに、監督ときたらほとんどAVを撮ったことないんじゃないかっつーぐらいに初々しい……といえば言葉はいいが、ようは童貞くさいドキュメンタリーであった。おまけにぜんぜんエロくない。にもかかわらず早送りせずに最後まで見てしまったのは、むちゃくちゃ面白かったから。
『あんにょんキムチ』は公開時にBOX東中野(現・ポレポレ東中野)で見ていた。が、その松江哲明が、まさかその時点でアダルトビデオ業界に籍を置きながら活躍中だとは思ってもみなかったので、新鮮だった。
 しかし、あらためてリストを見て思う。こんなふうに「グレイテスト・ヒッツ」の組める現役ドキュメンタリー作家もそうはいない。どうかしてるでしょう、この多作ぶり。
 AV業界と小型DVカメラの恩恵については、いまさら言うまい。ただ、そこで培った技術を「セルフ・ドキュメンタリー」に転用するにあたり、作家のプライベートな問題系にとどまらず、他者や社会と関わる上での方法論にまで高めたことは、ドキュメンタリー史に刻まれるべき松江哲明の功績だろう。
 さらにつけ加えるなら、そこに「電波少年」以降のテレビ・バラエティの感性が配合されていることも指摘しておきたい。例えば、松江流ハイブリッド・ドキュメンタリーの代表作『童貞。をプロデュース』を、片岡飛鳥、加地倫三、マッコイ斉藤といった名前を引き合いに出して考察することもけっしてムダではないはずだ。
 だから、こう言わせてほしい。今回のグレイテスト・ヒッツ、「めちゃイケ」や「ロンハー」や「おねマス」が好きなアナタもきっと楽しめますよ、と。


 

松江哲明監督は東京生まれの東京育ちである。実家を出てからも都内に住み、原付や自転車やバイクで走り回り、その空気を肌で触れながら生活している。

21歳で発表したデビュー作『あんにょんキムチ』は在日三世である自身のルーツを探るために韓国へ飛び、その続編ともささやかれる『セキ☆ララ』では同じく在日三世のAV女優が少女時代を過ごした尾道へ。『あんにょん由美香』でもふたたび韓国を訪れていた。2009年には地元の吉祥寺で全編ロケした『ライブテープ』を撮るが、そこからよそへ旅立ち、最後に戻るべき場所としてあるのが(映っていてもいなくても)、松江監督とその作品にとっての東京だったように思う。

 

AVと映画、ドキュメンタリーとフィクション、インディーズと商業映画の間をオルタナティブに行き来しながらこの12年を渡り歩いてきた松江監督。当初こそ、その作り方は自らも公言しているように『監督失格』の平野勝之やAV監督であるカンパニー松尾らの影響を強く受けたものだったが、独特のポップセンスとセルフプロデュース能力によってお客さんが増えるにつれ、しばしば童貞市場やセルフドキュメンタリーの代名詞的に語られるようになる。だが松江作品はそれ以上に「松江哲明」というジャンルでもある。いまだかつて松江哲明のフォロワーは生まれていない。

 

反面、型にはまらないDIYな活動は、映画界・カルチャーシーンの全体における松江監督の立ち位置を見えにくくしていたとも言える。これは同世代で彼がその影響を認め、互いの作品に協力し合う仲でもある山下敦弘監督とは対照的だ。松江作品は組織の中に入り込んでシーンの更新に貢献するよりも、シーンを自分の文法に取り込むことで自陣の更新を重ねてきた。そこにはサブカル童貞モノの『モテキ』を東宝メジャーが配給するアップデートとは別の意味がある。

 

ところで、松江監督がキャメラを向ける相手は常に彼にとってのアイドルである。それはある時は童貞のオタク青年、ある時は女優の林由美香、またある時はミュージシャンの前野健太であった。メイキング・ディレクターとして撮った『ドキュメント・メタル・シティ』の松山ケンイチや、編集で参加した『谷村美月17歳、京都着。恋が色づくその前に』の谷村美月でさえ同じである。プロだろうが素人だろうが、男でも女でも、画面からはその人が大好きでたまらない=撮りたいという松江監督のピュアな憧れと尊敬がこれでもかと伝わってくる。松江監督のドキュメンタリーは彼が撮る人たちへのラブレターなのだ。だから監督としての彼は基本的にいつも被写体に負け続けている。これが松江哲明が映画界およびカルチャーシーンにおいて占めてきたポジションである。

 

信頼のおけるスタッフと一緒に好きな人を追い、小型のデジタルビデオカメラをそっと構え(時にキャメラマンも兼ね)、自分も出演者の一人となって話しかけ、相手の言葉や歌声に耳を傾ける。そうした松江監督の撮影スタイルや選ぶ被写体は、たとえば「9.11」「ゼロ年代」「3.11」といった大文字のキーワードの先にある今とこれからに対峙するにはあまりに儚くてナイーブだ。それは時代を総括するでも象徴するでも分析するでも牽引するでも掘り下げるでもなく、今いる場所から手を伸ばして届く世界と誠実に向き合おうとする姿勢で、そこから導き出される方法と結果はしかし、現実に起こっていることのパワーに太刀打ちするものではない。

 

だがその「敗北」ゆえに松江作品は逆説的に時代を反映する。戦うのではなく、負けてそこからスタートする。脅威を認めた上で関係を築く。監督生活12年目を経て、キャメラはもっとも近くにありながら恋して止まなかったものに向けられた。2011年現在、松江監督にとって出発点であり帰るところでもあるはずの“トーキョー”は、どんな姿を見せてくれるのだろうか。それを観るためにも知っておきたい恋の歴史が、この3週間に詰まっている。

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